休職中サラリーマンが日米高配当株でセミリタイアを目指す

高配当株による配当金再投資で将来的なセミリタイアを目指していた矢先、メンタルに不調を来たし会社を休職中のサラリーマンです。投資、休職、転職などについて綴ります。

休職するとクソ暑い夏をスーツで過ごすことが理解できなくなる

タイトルの通りです。そうです、こんなタイトルで平日の昼間からブログを更新しているのですから、だいぶこじらせています。

 

私もついこの間までは、1日の大部分をスーツで過ごす生活を10数年間過ごして来ました。ですので、真夏だろうが何だろうがスーツを着ることがあたりの前の生活もわかります。暑いけれど、理解できないとかそんなこというほどではないし、オフィスの中は涼しいのでスーツでも問題ない。寒いことすらある、ことも知っています。

 

一方で、現在休職中の私は、終日半袖半ズボンで生活することを、ここ1ヶ月ほど続けています。そうなると、やはり快適さが段違いなのです。例えエアコンを使用せずとも、真夏特有のクソ暑さを体感しつつ、十分快適に過ごせます。むしろ、これが自然な夏の過ごし方じゃないのか、とすら思います。つまり、改めてサラリーマンとは異なる精神状態にあると実感するのです。従って、こんな状態で復職できる気がしません。

 

これは、自分が取り得る複数の選択肢を自覚しているか否か、もっといえば自覚した上で、その選択肢を取り得るか、という話にもつながります。

 

真夏のクソ暑い時に半袖半ズボンで過ごせれば、それは快適だろう。そんなことは理解している。でも、スーツで過ごすことは、半袖半ズボンに比べれば快適さに劣るが、やってやれないことじゃない。サラリーマンなんだから、スーツ着るのが当然だよ。そもそも、サラリーマンが半袖半ズボンで仕事はできないよ、というのがサラリーマン時代の私の思考でした。今でも休職中ではあるものの、サラリーマンなのですが。


これは妥協の世界です。妥協であり、諦念です。サラリーマンというのは妥協の連続です。別に悪いことをしているわけではありませんが、諦念にまみれた、妥協の産物。それがサラリーマンではないかと、そんな事を考えてしまいます。
もしくは、妥協や諦念すら自覚できない。もしくは、無意識に自覚しない。そんな、悲しくも合理的な思考を選択せざるを得ないのがサラリーマン時代の私ではなかったのかと、極端な思考であるということは自覚しながらも考えてしまいます(繰り返しになりますが、今でも休職中ではあるものの、サラリーマンなのですが)

 

人は環境適応能力に優れた生き物です。特にサラリーマンはそうですし、そうでないとやってられません。私もまだサラリーマンですので、わかるのです。働くにしろ、働かないにしろ、どちらに舵を切ろうとも、すぐに舵を切った方の価値観に染まっていくことを。

 

べつにどちらが優位なわけでもないと思っています(世間一般にはどちらが優位か明らかですが)。ただ、取りうる選択肢がひとつでないことを知ってしまった今、その選択肢の前で、取りうる選択肢が、どの選択肢が自分に取ってベストなのか、せめて、ベターと言える選択肢は何なのか、正直わからず、途方にくれているのです。

 

何も余計なことを考えずに、サラリーマンとして復職するのが、結果的にはもっともベターな選択肢であることは明白なのですが、私の中の何かが、本当はそんなことまったく望んでないだろう?と問いかけてきます。

 

かつて、肩まで伸びた長髪を切るのが就職の象徴であったとするなら、ズボンの裾が短くなるのが、その世界からのドロップアウトであるのかもしれません。夏にしか通用しない例えですが。

 

私の取りうる選択肢です。

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